NATURE(16 December 2004号)より
'Cage enrichment and mouse behaviour'


                                          実験動物福祉担当 川端 賢

 動物福祉の観点から実験動物の飼育環境をより豊かにする取り組み、いわゆる環境エンリッチメントの導入が必要視されるようになってきました。しかし一方では環境エンリッチメントが実験データに何らかの影響を与えるのではないか、という懸念から導入を躊躇している施設も少なくありません。
 昨年末に発行されたNature(16 December 2004号)に、飼育環境の富化が雌マウスを用いた行動試験のデータに影響を与えなかった、という研究報告が掲載されました。
以下に要約を引用いたします。

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                   ケージのエンリッチメントとマウスの行動

 標準サイズのケージで飼育されたマウスには、脳の成熟欠陥、異常な反復行動(ステロタイプ)、不安症などが見られることがあるが、こうした問題はケージ内の環境を改善することで軽減できる。飼育環境の質を向上することが行動試験の標準化を阻害し、試験結果の精度と再現性に影響を与えかねるという懸念もあるが、しかし我々は環境の富化が行動試験において個体の変異性や反復試験におけるデータの矛盾に繋がらないことをここに示したい。今回の我々の発見によってマウスの飼育環境の富化が実験の標準化に影響を与えないことが証明された。
 環境の富化を施した3種類のサイズ(小・標準・大)のケージで2種類の近交系雌マウス(C57BL/6JおよびDBA/2)とこれらのF1ハイブリッド(B6D2F1)を飼育した。これらのマウスが成体に到達した時点で薬物スクリーニングやトランスジェニックおよびノックアウトマウスの行動フェノタイピングでもっとも一般的に行われる行動試験4種類(elevated o-maze、オープンフィールドテスト、novel-object test、water maze内でのplace navigation)を行った。それぞれの実験室でマウス48匹/群を3群(8匹/系統/環境条件)別々に購入し、各試験について3回ずつ反復試験を行った(合計432匹)。
環境富化がマウスの行動の遺伝的差異の検出および再現性に影響を与えるか否かを見るために、データを環境条件ごとに分割し、それぞれの反復行動試験における同一グループ内の変異性と実験室×系統の相互作用の分散比率を算出した。こうして4種類の試験の代表値の分散比率を環境富化した場合と従来の環境での場合で比較した。
 同一グループ内の変異性は総分散値の40%から84%(平均60%)に収まった。系統×実験室の相互作用に関しては平均値7.6%と相当小さく、変異性も少なかった。しかし同一グループ内の変異性は環境富化によって影響を受けなかった(o-mazeにおける糞便のボーラスカウントは除く)。これは環境富化が遺伝相違の検出感度を阻害しなかったことを示し、また富化を施さなかったケージでは個体間の行動の差異を取り除くことが出来なかったことを示している。環境富化は系統×実験室の相互作用における分散比に顕著な影響を及ぼさず、差異の傾向にもばらつきが見られないことから、環境富化が実験室間の矛盾を来たす原因にならないことがわかった。
 系統と環境の影響は、系統、環境条件、実験室、反復試験を主観間要因としてfour-way factorial analysis-of-variance modelで解析した。以前に多実験室で行われた試験では、変異性の多くに顕著な系統×実験室の相互作用が見られた。しかしこれは量的ではなく質的なもので、影響の方向性というよりむしろ影響の大きさの差異を反映したものである。また環境富化による影響は、実験室間において大きな一貫性を持っていた。
 実験室間の影響(平均5.2%)および反復の影響(平均3.1%)は全体のばらつきと比較すると小さく、実験室間における標準化が実験室内の標準化と同じくらい有効であることを示している。それぞれの実験室間で統一されているのはケージタイプ、富化プロトコール、照明時間、テストシステム、テストプロトコールのみであることから考えると、この結果は驚くべきことである。この結果から、行動学データのばらつきを避けるために実験室間で過剰なほど環境条件の統一を図ることの有用性に疑問が生まれ、また遺伝的影響(多くの場合ノックアウトとトランスジェニックマウスで探索される)の詳細を確実に把握するためには多数のサンプルが必要であるという論理も疑問視されてくる。
 我々の発見は、環境富化が動物にとって利点があると知っていながらも実験の標準化を阻害しかねないという懸念から取り組みが遅れている現状に反証するものである。我々の発見は薬物スクリーニングや病変実験などを含む、広い分野に適用されるであろう。また動物生理学や解剖学など、行動学よりもより環境の影響を受けない分野にも応用できるはずだ。
 ただし雄マウスに関しては、環境が優越行動や攻撃性を増強することがあるため、今回の結果が当てはまるかどうか定かではない。しかし雌の場合は、環境富化は脳機能の異常や不安症といった動物実験に潜在する混乱を減弱させ、実験データの精度と再現性を損ねることなく動物の安寧を増進させるはずである。

                                                        訳:川端

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引用: Wolfer, D., Litvin, O., Morf, S., Nitsch, R., Lipp, HP., Wurbel, H. Cage enrichment and mouse
    behaviour. Nature, 432, 821-822 (2004).






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